浜松親(新)聞

浜松の新聞店の総合情報サイト
浜松親(新)聞って?

ホームページをご覧いただきましてありがとうございます。
浜松の新聞店の総合情報サイト 浜松親(新)聞は、浜松の中日新聞販売店が立ち上げた、
皆さまにもっと中日新聞販売店を知って頂くためのホームページ。
ココだけのお得な情報から、新聞のお試し読みまで。
「新聞って思っているよりも便利だし、おもしろい!」
こんな風に思っていただければ幸いです。また求人や折り込み広告など、地域の皆さまが活用できるコーナーも設けております。
ご不明点やご要望など、お気軽にお問い合わせくださいませ。

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地元浜松で編集・発行しています

浜松の中日新聞は、地元で編集・発行しているから、紙面で地元密着で特集企画もたくさん掲載しています。もちろん日本の経済や世界のニュース、スポーツ欄も豊富です。浜松の情報は、もちろん地元発行の新聞で!
お試し読みもお申し込みできますので、どうぞお気軽にお問い合わせくださいませ。

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所在地:静岡県浜松市東区薬新町45番地
Tel:053-421-7711
・JR天竜川駅より徒歩15分
・JR浜松駅よりバス25分→薬師バス停下車
徒歩7分または、薬師北バス停 徒歩5分

 

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中日新聞本社の前身となる『新愛知』が明治21年創刊されるとすぐ、この浜松市でも二つの販売店取扱いを始めました。
その後『新愛知』は、明治45年に浜松市で駿遠日報、大正12年に静岡市で駿河新聞という2つの新聞を発行。長い間、静岡県で地元の新聞として定着してきました。
しかし戦時中の新聞統合は、本紙『新愛知』と浜松地域の読者様との長い結びつきを中断することになりました。とりわけ戦後、浜松を中心とした静岡県西部地方は地元に強い言論機関がなく、浜松地域内の情報流通が円滑を欠くこととなり、発展をせずにきてしまいました。
そこで地元浜松の皆さまからの「ふたたび遠州の地へ復帰」の声を多く頂き、こうして昭和56年4月25日、編集・営業の2局制で東海本社を設立。その2日後の27日には、東海本社から初のコンピュータ制作(CTS)によるオフセット・カラーの『中日新聞』が刷り出され、再び新しいタイプの郷土史として出発をすることになりました。

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 新聞のこと、すこしお話します

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かつて新聞はみんなの教科書でした。
明治維新以降、日本は急速に近代化を進めるために義務教育制度を制定して民衆のレベルアップを図りました。
誰でも「読み・書き・そろばん」が出来るようになった時点で、新聞はみんなの教科書になったわけです。当時の新聞は難しい漢字にはルビ(仮名)がふってありました。
新聞を読むことにより人々は高度な言葉も習得し、 新聞の与える情報によって人々は教養も高めていきました。
 
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ラジオ・テレビなどが十分普及した高度成長の時代でも、新聞は相変わらずみんなの大切な情報源であり 生活必需品でした。
高度成長時代。大家族から独立した核家族はほとんどが「中流意識」を持って「文化生活」を楽しむようになりました。 文化生活には「最低でもこれだけは知っていなくては恥をかく」知識や情報が必要ですから、人々はそれをこぞって新聞に求めていました。「いつでもどこでも 読める」新聞は、テレビやラジオのように番組に自分の都合を合わせる必要もありません。 「中流」には少し手が届かないと思っている人々は、「子どもにはぜひ」という願いを込めて、やはり新聞を家庭の必需品にしていました。
 
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垂れ流しの情報に慣れすぎて、知識や情報を自分からつかみに行く「読む」という行為を人々は放棄し始めました。
テレビの普及率が急速に上がり始めたころ、「一億総白痴化」が懸念されました。 これは番組の低俗さもありますが、テレビを見ることにより何も考えずにぼんやりと過ごす時間が日本人の思想パターンに与える悪影響を危惧したものです。テ レビ世代も二代目、三代目の時代になりました。世の中には「自分の頭で考える」ことを放棄したかのような人々があふれています。 「一億総白痴化」の予言は当たったのかもしれません。
 
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テレビのキャスターの言葉は 神の言葉ではないのに…。
「とんでもない事件がおきました」とニュースのキャスターが話し始めれば「とんでもないこと」としてその事件を捉え、「この人はこの国のことを本当に考え ているのでしょうか」と 政治家を批判すれば、そのような人だと思いこむ。 自分の頭で考えることを放棄した人間は、判断も他人に委ねてしまうのでしょうか。悪く言えば「洗脳」にもなりかねないテレビの報道ですが、テレビは勝手に 流れているので、トップニュースすらも印象に残せない脆弱さをもっています。 このような媒体を唯一の「知る手段」にしていて良いものかどうか、一度考えてみませんか?
 
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インターネットの時代がやってきました。
世はIT時代。インターネットは情報の開放性と同時性を合わせ持つ素晴らしいメディアです。 これまで限られた人にしか配信されなかった情報が、ほんのわずかな操作で 居ながらにして手に入る時代になりました。 それに伴い、ケータイはもはや電話の概念をはるかに超えて「情報のゲートウェイ(出入り口)」になった感さえあります。しかし気軽さに惑わされがちなので すが、ケータイ情報の通信費はビックリするほど高額なものになっているのです。 果たしてITの恩恵を有効に受け止めている人が、いったいどれほどいるのでしょうか。
 
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知っている人だけが知り、知りたいことだけ知ることの歪さ。
インターネットの世界は底なし沼だと感じる時があります。どこまでも深く検索できてキリがありません。そこには当然「秘密の楽しみ」ができ、浸か りきってしまうと 「世間とは関われない人間」にもなりかねない危険性があります。「深く知る」ことと「社会的に広がりを持つ」ことが両立できているかどうかを吟味する事も 大切になってきました。
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ITの先進国アメリカでは、洪水のようにあふれる情報社会に対する反省が教育の現場で制度化されるようになりました。
ITの爆発的な普及に各種の規制や制度化が追いつけなかった結果、
インターネットの世界はまさに「やりたい放題」の無法地帯になってしまいました。コンピュータがない時代に逆戻りはできませんから、アメリカでは「情報を 読み解く力」をつけさせるために MEDIA LITERACY を授業に義務づけました。 その流れの中で教育界が改めて価値を見出したのが新聞なのです。NEWSPAPER IN EDUCATION(教育に新聞を)と古くからある運動が、このIT社会で新たな役割を担って世界中で広がっています。

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貧富の差よりも恐ろしい言語力の差。
地下鉄で「ダサー」「うざーい」「むかつくゥ」などの数語だけで会話している女学生たちがいました。 反対の席には文学を読む女学生。 この女学生たちが親になった時、その子供の教育の差たるや歴然です。 当たり前の話でが、算数も理科も実は日本語で考えます。 成績が芳しくない小学生は、国語をしっかり教えてくれただけで他の学科も自動的に成績アップする例が多いのです。かつて新聞が「国民皆読」であった時代に は、学歴がなくとも一発逆転が可能でした。 日本が世界一平等な国と言われたのは、新聞の国民皆読により教養が底上げされていたので、本人がその気になりさえすればいつからでも学ぶことができたから です。 しかしこのままでは、やがて新聞のあの整然とした文章を読むことが出来ない層が形成されてしまいます。 言語力の二極分化は、せっかく築かれてきた民主主義社会が階級社会へと移行する危険性もはらんでいるのではないでしょうか。

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活字は良いですね、手に持って読むことで実感がわきます。
オフィスの紙資源原料がIT化のもう一つの目的だったのですが、ちゃんと読みたいものはプリントアウトするので、結局は以前より沢山の紙を使用するように なってしまったのだとか。 ゲームから始まってずっと液晶画面に慣れ親しんだ世代ですら、印刷されたものの方が頭にインプットしやすいようです。 即時性ではかないませんが、もう一度新聞を手に取ってみませんか。

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新聞は斜めに読み下がるように紙面が構成されていますから、自然に色々な情報が目に飛び込んできます。
新聞の魅力を一言で表せば、その一覧性にあります。 前日の大火事の詳細記事の隣に殺人事件があり、下の方には文化使節団のコラム、横に目を移せば新たに発掘された遺跡のニュースが写真入りで紹介されている 等々……。専門的な知識はもちろん大切なのですが、このように新聞で得た幅広い雑学が、世の中で生きていく上でどんなに役立つか。 そしてそれらがあなたの人間性を如何に豊かにするかを考えてみてください。

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新聞だからこそできる会話の広がり。
新聞を広げて記事を読む人が、驚いたり感心したりする。 その「ヘェー」とか「ホゥ」とかに思わず吸い寄せられて「何かあったの?」と家族の誰かがのぞきこむ。 これは今でも、少し以前ならどこの家庭でも見られた茶の間の風景です。そこから説明だの、記事の登場人物の話だの、ことの成り行きの推測だのの会話が広 がっていきます。テレビではこうはいきません。ヘェーと言っている間に画面が変わってしまうからです。青少年や、あるいはうまく大人になれなかった人間の 犯罪が多発しており、そのたびに「家庭」がクローズアップされています。 家族の絆というとすぐに「親子でキャンプ」だの「家族会議」みたいなことを重要視する人もいますが、本当に大切なのは ごく平凡な日常です。自然な形で社会を学び合う。 こういう表現も何だかおかしいのですが、茶の間に新聞があることのささやかな、それでいて大きな働きをわかって頂きたいのです。

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あなたの『知る』を新聞で。
新聞を読むことが日常の一部になっている人にとっては、新聞はなくてはならないものです。 そういう人は、休刊日が寂しくてしょうがないし、中には怒れてしまって販売店に怒鳴りながら電話をかけてきて下さいます。思わず敬語になってしまうのは、 こういった方々が日本の新聞を支えて下さっているからです。新聞をご購読下さっているあなたにとって、新聞は当たり前の存在かもしれません。 しかし、そのあなたに
実は大きな意味と意義があるのです。 新聞を読むあなたの姿が知的な次世代を育て、便利で有効な新聞という文化を伝えていってくれるからです。

浜松親(新)聞サイトは浜松の新聞店の総合情報サイト。
地元で編集・発行される中日新聞の魅力を地域の皆様 に知っていただくサイトです。


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